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こんにちは。砂川です。 今朝、札幌事業所に外線をかけたところ、利用者の方が電話応対をしてくださいました。 「はい、お電話ありがとうございます。訓練生の〇〇です」と柔らかい声色で話され、丁寧な口調が印象的でした。   この電話応対をしてくださった方は少し失語のある方でしょうか。 一つ一つの言葉をゆっくり話され、私の言葉を慎重に復唱確認をされています。   伝言をメモに書き終わり、「それでは所長の伊藤に伝えておきます」と電話を切りそうになったので、こちらから「私の携帯番号は伝えなくても大丈夫ですか?」と尋ね、番号も必要だと教えてくれました。     この場面、皆さんならどう考えますか? 本人支援の視点だけで考えると、番号を聞き忘れそうになったことを指摘することもできると思います。   しかし、私がこの短いやり取りで感じたことは、言葉がスムーズに出にくい人たちが電話応対をしてくださる、そのこと自体に意味があるということです。   今日の電話で、私は、いつもよりゆっくり、ハキハキと話をしました。本人視点で考えるとそれは“配慮”になるのだと思います。しかし、私はこの電話から確実に伝言をしてほしいという希望があったので、自分の仕事を遂行するために必要なこととして、ゆっくりハキハキ話すことを決めました。 ゆっくり話すことがお互いの作業遂行上のメリットになり、配慮という特別感はありませんでした。   また、シンプルな感想として、「頑張って練習している人がいるんだな。ゆっくり話せば、情報が伝わるんだな」ということを学び、潜在意識としてあった「失語のある人は、電話応対は難しいかも」という考えを改めないといけないと思い反省しました。   障害特性、配慮事項、など就労支援の現場には難しい専門用語が並びます。学術的に勉強をすることも必要ですが、本当に大切なことを教えてくれるのは利用者の方です。 訓練生が電話に出てくれる事業所は、日常の中で社会と障害のある人との関わりを作れていて、それが次の誰かの希望になったり、「障害があったら難しい」という固定観念を変えていくきっかけになっていくのだろうと思います。     一本の電話から、支援の軸は「社会モデル」であるべきだと、改めて考えた一日でした。           砂川