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こんにちは。堺の徳谷です。 「適応」という言葉を見ると、僕はドラえもんの「テキオー灯」を思い出します。 テキオー灯の光を浴びると、水中や深海などの環境に適応できるようになる道具。 「適応」という言葉は、生物学的には身体機能の進化・退化の中で使われてきたようです。   今回は『適応障害の真実』という本につきまして。 適応障害は誰でもなりうるもので、一概に「これだけのストレスを受けたからなる」ものでもなく、人それぞれなのだと書かれています。よくマウス実験などで「これだけの負荷をかけたから『うつ病因子』が増大した」といったことではないんですね。 この話だけとってみても、「適応」という言葉が、個人の意識内ではなく、環境に適応する際の身体(脳)にかかる負荷として捉えられている気がします。   和田さんの他の著書でも言われている「ステレオタイプに受け止めるばかりではなく、『本当にそうか』『違う考え方はないか』と疑え」という言葉(僕の捉え違いであれば恐縮ですが)が肝なのだと思います。 人間関係や物事に白黒つける正解を求める思考は、とても負荷がかかるもので、「正解はない」「だから自分に負荷がかからない選択をする」という余裕を持たなければいけない。   『スマホ脳』などでも語られていましたが、産業振興・情報化社会の勢いは人類史から見ると恐ろしく短い期間に発達しています。本来は長い時間をかけて世代を重ねながら適応していく身体を持った僕らは、グローバル化も加わった曖昧な風土に無意識に適応することに限界を感じているのだと思います。   適応することが正解、と考えてしまうこと自体が危険だという考え方を引き出しとして持っておく。 それをチームで共有して思考の偏りを防いでいく意見交換(議論ではなく)が必要なのだと思います。   なにせ「適応」は無意識レベルで身体が先に動くものなので。 背筋を伸ばして横隔膜を広げて深い呼吸をしつつ…といったことを会議の合間に挟んでもいいのかもしれません。笑顔も大事ですよね。僕がしかめっ面で話していたら、「あかんでぇ」と言ってもらえたら嬉しいです。 適応しない勇気は一人では出せませんよね。