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こんにちは。
堺の徳谷です。
先日、障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議主催:大阪障害者自立セミナー2023に参加しました。
前半、 精神科医療と人権~虐待、拘束、長期入院をどうする!~と題されたセミナーでは、ジャーナリストの原昌平さんより、精神科医療の閉鎖病棟において繰り返される虐待や、精神科医療の歴史についてお話を伺いました。
後半では、4箇所の自立生活支援センターの方々が登壇された「共に生きる仲間を作ろう!」をテーマにした分科会に参加しました。
僕が大きく衝撃を受けたのは後半。自立生活支援センターの経営・ヘルパー人材の確保・確保した人材の定着についての議論の先頭に立っているのが当事者の方々だったことでした。
街頭でのビラ配り・ラッピングバスなどの広告戦略・センターのHPに動画をアップするなど。文字にしてしまうとありきたりな戦略に見えますが、「当事者が主体となってそれらを行うこと」が分科会の会場参加者すべてにとって「あたりまえ」になっている感覚。
ヘルパーの雇用管理(賃金・社会保障のみならず、ヘルパーの人生設計にまで話は及びました)を談笑しながら語り合う現場に直に居ることが出来たのは、本当に衝撃的な体験でした。お世話される側とする側、などというのは本当にステレオタイプの固定観念でしかなくて、僕はこの人たちからもっと多くのことを学ばなきゃ、と強烈に感じさせられました。
そういうことを感じたことがあるか、あるいは定期的に感じられる環境が地域にあるか、これらが発信して広く知られているかどうかは、社会にとってとても大切なことだと思います。
この研修の後、急いでヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読みました。
ここでアウシュビッツの強制収容所の話題を出すのは不適切かもしれませんが、閉鎖的な環境で行われた略奪と虐殺、被収容者の中から同じ被収容者の監視者を選抜する「カポー」制、それを束ねる親衛隊員、どうしても閉鎖病棟を想起せずにいられませんでした。
そして読み進めるうちに、このような閉鎖性はムラ社会・会社・家庭・夫婦間など、あらゆる場面に共通するものなのだという実感も湧いてきます。就労移行支援の利用者・支援者においても同様です。
僕たちが利用者様との間に「支配」「被支配」という関係性を作らなければいいのでしょうか。
ことはそう単純では無いと思います。同じ人として共に生きるということは、言葉に出来ない感じ方を持てるかどうかにかかっているのかもしれません。