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こんにちは!クロスジョブ堺の樽谷です。 近頃は雨続きですが、来週からあたたかくなってくるそうです。 桜が咲き始めるといよいよ春らしくなりますね。 運動不足なのでたまには外で体を動かしてみたり、晴れていれば公園にも出かけたいなぁと思っている今日このごろです。   さて、今回は下記の本を読んだ読書感想です。 なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える 著者 / 渡辺 一史 読んでいて各章ごとに筆者が出会った障害者の方々とのエピソードを交えたお話し、問題提起、投げかけられた言葉は考えさせられることが多く、まとまりきれていないのが正直なところです。   まず、2016年の相模原の障害者施設で起こった痛ましい事件の被告人について・・ 植松被告は意思疎通がとれない重度な障害を持っている人を中心に危害を加えたとありました。 被告人の意思疎通をとる能力が欠けているのではないかという思いがありながらも、同時に意思疎通というのは一方通行ではとれないもので、言葉以外にも表情や動作、時には受け取り手の想像力というものが必要になってくるのではないかと改めて思いました。 生まれたての赤ちゃんは言葉が話せないですが、親や周囲の人たちが一生懸命意思を汲み取ろうと模索していることが似ているのかなと思います。 もしかすると、あえて意思を伝えないなどの信頼関係が出来ていない背景があったりするかもしれません。   この事件のことを絡めながら本書の中では「こんな夜更けにバナナかよ」の映画のモデルとなった鹿野さんのエピソードが描かれてあり、とても印象深かったです。 重度の身体障害で全身の筋肉が衰えていく難病がありながら、自宅で家族ではなく24時間体制のボランティアの人を自分で見つけ出されながらの生活を選択しておられたと言います。 鹿野さんは介助をされる立場であるからと言って、遠慮したり迷惑であることを躊躇せずボランティアの方にしてほしいことをダイレクトに伝えておられました。 本の中で描かれる鹿野さんはわがままで迷惑をかけっぱなしでありつつも、鹿野さんを支えるボランティアの人たちが、実は鹿野さんに支えられているという側面があることも書かれていました。 表面上は障害者の支えになりたいとボランティアをしていても、「自分は何がしたいのか分からない」「誰かに認めてもらいたい」という本音があったそうです。 自立した生活が送れている健常者が、人からの介助で生活をしている重度の障害者に支えられているということ。 私自身、クロスジョブに入社するまで”障害”という言葉をネガティブなものだと思っていました。 恥ずかしながらよく知ろうとせずに「大変そう」で片づけてしまっていたところもあったかなと思います。 でも、誰しも障害(日常に差し障りのある、害になりうる部分)はあるのではないかと気づかされました。 そして、それぞれに苦手な凹んでいる部分があるから同じ凹みを持った人や凹んでいる部分が違っている場合にも寄り添うことが出来たりもするなと思います。 「支え合う」には支える人と支えられる人がいて、時にはその立場が逆転することもあることを鹿野さんのエピソードで描かれていました。 支え合えるようになるには自分自身を理解し、自分はどこを支えて欲しくて、どこが支えられるところなのかを知ることが大事なんだなと思います。 利用者さんと過ごす中で、支援員として携わりながら、時には利用者さんに支えられ援助していただいています。最初は支援員なんだからしっかりしないと!と思っていましたが、助けてもらったら素直に「助かりました」「ありがとう」と伝えるほうがいいなと思えるようになりました。 人との関わりの中で大事だけど置き去りになりやすい「支え合う基盤」が詰まった本だったので、また月日が経ってこの本を読んだ時にはどんなことを感じるのか楽しみです。   読んでいただきありがとうございました。