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堺事業所の山本です。 3月17日に堺市の東文化会館で、村木厚子先生の講演を聴講しました。 「村木厚子さん」といえば、厚生労働省や内閣府で官僚として様々な政策に携わられ、2009年には冤罪事件に巻き込まれたことでも有名な方です。 その冤罪事件当時、私は小学6年生で、「こんな優しそうな人が悪いことをするんだなぁ…?」と事件をぼんやり見ていた記憶があるのですが、大人になってまさか村木厚子さんにお目にかかる機会が訪れるとは夢にも思っていませんでした。   講演では、障害のある方が働くこと、障害のある方が働く環境、それを受け入れる社会の仕組みなどが話に挙がり、また、ご自身の官僚としての経歴、冤罪事件での苦しみ、これらと「高次脳機能障害」の方々がかかえる思い、苦しみ、悩み、自己受容の難しさと結び付けてお話くださいました。 今回は、その中でも印象に残った点をいくつか挙げ、勝手ですが、自分なりに振り返ろうと思います。   〇「9割の人が働けるんじゃないか」 一つめに印象的なエピソードが、村木先生がとある障害福祉施設を訪れた際、利用者さんたちを見て思われたという、この一言です。 この一言で、障害があっても社会で働ける可能性のある方々はいまだにたくさんいるんだな、と自分も今回感じることができました。 企業で働くか、福祉事業所で働くか、など形は様々だとは思いますが、 「どうせうちの子はこれくらいだから」 「こんなところに行かせておくのがいいんだろう」 というように進路、就職について限定的に考えてしまうことが、仕事を通じて社会とつながりを持つことができない将来につながってしまうのだな、という風に感じました。 同時に、自分の障害特性を理解していなかったり、自分の強み、合う仕事環境を知らないがまま、社会で働けていない障害のある方々はいまだに多いのだな、というようにも思いました。   〇「アメリカで障害者になってよかった」 村木先生が出会った、大学生になってから車いすになった人の言葉を教えていただきました。 通常、障害がある状態になると、周囲からは 「今までとは違う生活になるから」 「自分の現在の状況を受け入れて」 「これはあきらめなくてはいけません」 といったような言葉をかけられることが日本では多く、自分の人生プランや目標など、将来への生き方を大きく変えるように強制的に変更させられることはしばしばあります。 ただ、アメリカでその人がかけられた言葉が、 「あなたの夢は変える必要がない。ただ、夢に到達するまでの方法、経由する道が変わるだけだ」 というものでした。 村木先生がおっしゃるには、海外では障害のある方でも仕事をして活躍ができる環境があるそうです。 北欧の国では「立ち上がれる車いす」を使って、美容師や歯科医師として働く障害者の方がいらっしゃることを今回初めて知ることができました。   簡単に言うようでありますが、日本でも取り組もうと思えばできないことはないのではないか、と今回この話を聞いて思いました。 例えば、視覚障害がある方に向けたパソコンソフト「PC Talker」は、パソコンの画面を音声読み上げで説明してくれるものですが、その価格は6万円程度するなど、なかなか役所の補助金なしには買えないものであります。 しかし、このソフトが普及するだけで、働き方が大きく変わる方もいれば、働けるようになる方も出てくるのではないでしょうか。 このように、障害のある方にとって必要なツールをもう少し普及させる、手軽に使えるようにする。 働く環境を整える一歩になる。 こういったことだけでも、障害のある方の「働く」を増やすことができるのではないか、と自分なりに考えを巡らせることができました。   〇「ある日突然、神様が投げた不幸玉に当たる」 今回の講演内容にもある「高次脳機能障害」についてですが、村木先生が「いっちゃんはビリビリマン」という書籍を読んで、心に残った場面をたくさんご紹介くださいました。 その中でも、私が印象に残ったのが「ある日突然、神様が投げた不幸玉に当たる」というような表現です。 普通に生活しているのに、ある日突然事故にあう。 ある日突然、受傷する。障害がある状態になる。 この状態を、なやクリニックの納谷先生が高次脳機能障害の当事者の方に向かって 「神様は、あなたになら困難を乗り越えられると思って、あなたを選んで不幸玉を投げているんだ」 と表現されたエピソードです。 村木先生ご自身も、冤罪事件に巻き込まれた記憶と重ね合わせてお話をされていました。   高次脳機能障害の方々だけではなく、発達障害、精神障害を持っている人も、同じように苦しい思いをしていて、この表現がまさしく当てはまるのではないか、と私は感じました。 なぜみんながわかってくれないのか。自分だけ苦しい思いをしている。 なりたくてこんなふうになったわけではない。など。 自分の障害を自分の一つの「個性」としてだったり、ポイントなんだ、と受け入れられている方はまだまだ世の中には少数派なのではないかな、と勝手に私は感じていることがあります。 けれどもその中でも、「自己受容する」こと。 自分は「こうなんだ」とわかること。 米田和子先生に教えていただいたことでもあります。 これをしないと就労に進むことは難しい、ということを改めて感じました。 心の区切りをつける方法の一つとしての、「不幸玉」としてのとらえ方。 私が正しくこの言葉を認識できているかはわかりませんが、前に進む一つの考え方として、印象に残りました。   〇「人は一夜にして支えられる存在になる」 村木先生が、拘置所に入られたときに感じられたこととして、挙げられていました。 仕事を通して自分は誰かの役に立てているんだ、と思っていたけれども、拘置所に入ったら何もできない。 誰かの力を借りないと何もできない状態になってしまった、と思ったことをお話しされていました。 人は「支えられる」、「支える」の片方だけではなく、誰かを支えて、誰かに支えられることでバランスが取れる。 これは実感された方からしか出てこないものだと感じました。   この状態はまさしく、障害のある方にも言えることなのではないでしょうか。 支援者に支援してもらう。介護を受けながら生活する。 自分が「支援してもらう」側だけだと、生活する中で生き甲斐を見つけることは案外難しいのではないかと思います。 働くこと、お仕事を通して誰かの役に立つ。社会の役に立つ。 お金を得るだけではなく、役に立つことも障害のある方には生きる動力になる。 そのためのお手伝いを私はパソコン訓練を通して、少しはできているのだろうか、そういう認識を持たないといけないな、と思いました。   また、自分たちも「支えている、支援している」というおごりではなく、一瞬で「支えられる」状況になることがある、と思っておくことが大事だな、と感じました。   〇最後に 長々と思ったことを書いてしまいまして、大変読みづらくなりました。 私自身の思考がいつもぐちゃぐちゃで、情けないのですが、自分なりに考えを深める経験になり、今回の講演に参加することができて、非常に良い機会となりました。 また、人の話を聞く、定期的に自分で考える、ということは、さぼりぐせのある私には必要だ、と再認識できました。 今後も、このような機会があれば積極的に参加しようと思います。 村木厚子先生に、そしてこのような講演に参加できたことを、心より感謝申し上げます。