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こんにちは、堺の徳谷です。   読書報告の連投です。読書の秋、来ましたね。   1988年刊の『スティル・ライフ』を「今、読もう!」と思ったきっかけは、須賀敦子さんが池澤夏樹の文章をベタ褒めしていたからでした。     主人公「ぼく」は、職場で出会った佐々井という男との「会話」に心を惹かれていき、自身の人生設計からは「いったん降りて」、佐々井自身が「いったんは降りた人生」に期間限定で付き合い始めてみる…。     という、なんのことか説明しにくいのですが、説明すると読む楽しみが無くなる、という小説です。     須賀敦子が本書の解説に引用している抒情的な描写や台詞は、そのまま「ぼく」や「佐々井」の魅力となって、ハマる人にはビシバシ響く…のではないでしょうか。     というのも、僕は同時収録されている『ヤー・チャイカ』のほうに強く惹かれました。     衛星技師?(主人公の職業は明かされません)の主人公「文彦」と、偶然?(かどうかはボカされています)出会ったロシア人材木商との交流の合間に、主人公の娘が書いた(と思われる)寓話が挿入されて展開する、各々が抱える「二つの立場」を巡る考察からなる短編です。     文彦と娘は、お互いの関係性の変化の間に。ロシア人は10年以上離れている故郷との間に。     「二つの矛盾する倫理体系の両方に属することによって、どちらの体系からも自由になってしまう。」ことを「自分を解放するための口実」とする生き方を主人公は選びません。     物語の終盤、彼は自分の届かない「遠方への感情」をコントロールしはじめます。     そこに至る前段として、人類初の女性宇宙飛行士ヴァレンチナ・テレシコワの、地上からの呼びかけに対するコールサイン「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」から文彦が想像した、衛星軌道上から地球を見守る視線と自分の関係のイメージが語られています。     想像すること、視点を変えて考えることは、時に苦痛や焦りを生みます。特に人間関係において。     文彦が、自分が感じたテレシコワの視線についてファンレターに書き込んで、それを投函せずに机の奥にしまったことで感じた満足感が、それを充足させる一つの手段なのかもしれません。     2編のどちらも、身近なものを視点を変えて、遠くにあるものとの距離感を変えて、新しく見せてくれる優しい小説です。     堺の本棚に加えますので、よかったらぜひ読んでみてください。