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こんにちは、砂川です。
【発達障害と少年犯罪(著;田淵俊彦】を読んだ時に立命館大学の宮口幸治先生が開発されたトレーニングプログラム「コグトレ(Cognitive ○○ Trainingの略称)」を知りました。
その後、エルムおおさかさんの研修会に宮口先生が講師としてお越しになった際、具体的なトレーニング方法やコグトレは学習の一部としてのプログラムであるとの考え方を学び、認知機能の面白さを知ることが出来ました。
この面白さを知ってからは、アセスメントや議論をする時に「この人はどの様に物事を見たり、感じたりしているのだろう」との意識が深まったように感じます。
体の使い方、手先の使い方にも認知が影響していて、単純に運動音痴、不器用な人と判断してしまうのは素人目線であるとも感じた次第です(笑)。
また、目に見えるものへの判断は個人の価値観も影響するので、認知を正しく捉え、本人との対話、検証を重ねることが、専門職としての役割だと感じています。
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前置きが長くなりました。
その宮口先生の新書が出たので拝読しました。
タイトルは【ケーキの切れない非行少年たち】です。
宮口先生は児童精神科医として精神病院に勤務された後、医療少年院で非行歴のある少年たちと関わりを持たれてきました。
少年院の中でも問題行動を繰り返す少年や犯罪を悪いこととして捉えられない少年たちに、ケーキを三等分するように課題を提示したところ、なかなか答えにたどり着けない彼らの様子を見て、これでは従来の矯正教育は通用しない、この課題が出来ない子どもたちは今までどれだけの挫折と社会での生きにくさを感じていたのだろうと気付かれます。
著書のタイトルはこのエピソードからきたもので、コグトレの開発経緯にも関係しています。
周囲の大人が彼らの困り感を把握できた段階が、非行に手をそめてから、少年院に入ってからであるのはとても不幸なことです。その背景には、認知のズレは他者に理解されにくいということもありますが、著書では歴史的に知的障害の定義が変化したことも関係が深いと指摘しています。
現在流通している「知的障害はIQが70未満」という定義は1970年代以降のもので、1950年代の一時期は「知的障害はIQを85未満とする」とされたことがあったそうです。
しかし定義をIQ85以下にすると知的障害と判定される人が全体の16%ほどになり、あまりにも人数が多すぎる、支援現場の実態に合わない、など様々な理由からIQ70へ下がられた経緯があると紹介されていました。
この歴史背景は初めて知ったのですが、時代によって定義が変わることで支援の手が届かなかったり、「境界知能」あるいは「知的に問題がない」と判断され、彼らのしんどさが気付かれずにいるのは、これもまた不幸なことです。
支援現場では、診断書や知能検査の結果を読む機会がありますが、これらの資料が全てではないということを頭に入れておかねばならないと感じました。
また、特に印象的で、とても共感した内容が「褒める教育だけでは問題は解決しない」ということ。宮口先生は褒めることの必要性は訴えつつも、その効果は長期に及ぶものではなく、本人がいかに、ありのままの自分を受け入れられるかが大切だと説明されています。
例えば極端に自尊感情が低いとしても、それを無理に上げる必要はなく、等身大の自分を分かっていれば大丈夫だ、との解説でした。
褒めるだけの限界は、就労支援の現場にいても感じる部分です。私たちは就労移行支援を事業にしているので、利用者の方との関わりは基本的に最大2年の訓練期間+フォローアップ期間となります。昨年度からは定着支援事業もスタートし、今まで以上に長いスパンで支援を行わせて頂くことが可能になりましたが、支援者は、いつかはフェイドアウトしていく存在なので、支援者からの刺激(褒めるなど)がないと自分を保てない方はとても危ういなと感じます。
これは就労移行を利用している期間の支援者側の関わりも影響を与えていることで、訓練段階を考えず、通り一辺倒にプラスのフィードバックを行っていては、ご本人の自立と適切な自己評価を行う過程の妨げになると感じます。
支援においては、時期に応じて褒める内容を変化させること、利用者の方自身が自分で自分を育てることへのサポートにも着目したいです。
(褒めること、ご本人の良いところを見いだし、フィードバックすることは支援者の基本ですので、そこは誤解のないように追記します)。
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社会福祉士の国家試験を受験するために、学生時代は更生保護制度の勉強をしていました。専門的に研究していた分野ではありませんが、どんな講義やゼミよりも印象に残っているのが更生保護です。
更生保護論の講義を受け持っていた先生は長年法務教官として勤務し、定年後は保護司として活動されていた方で、非行少年の支援に精通されていました。基礎的な制度について学びましたが、当時勉強している中で葛藤したのは「なぜ非行に走ったり、犯罪に手を染めた人が手厚く守られるのか」ということ。学生時代はそこが理解できず、どうして先生はこの道を選び、仕事をされているのだろうととても疑問でした。
少年が重大事件を起こすと世間では少年法の改正が叫ばれたり、私自身も納得する部分がありましたが、宮口先生の学術的な見解や臨床でのリアルな体験に触れると、罰だけではどうにもならない、救えないことがあるのだと考えさせられます。
大学時代のあの先生にまたお会い出来たら、当時出来なかった質問をぜひ聞いてみたいです。
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来週は名古屋でコグトレ研究の全国大会が行われます。
仕事とは関係なしに、趣味として勉強しに行こうと思っています。
とても楽しみです。
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いろんなところに話が飛んでしまいました。
皆様、よい夏休みをお過ごしください。
砂川