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こんにちは。砂川です。   昨日は事業所への出勤日だったので公共交通機関を利用して出勤しましたが、車内に掲載されている広告がほとんどなくなっていました。イベント関係は軒並み中止になっていますし、企業が広告をうつ余裕もないということでしょうか。その中でも、空いた広告スペースを活用して自宅で出来る取り組みを紹介している鉄道会社もあり、前向きに創意工夫される姿勢に癒しを頂きました。どの企業も苦しい状況にあると思いますが、今日できることは何か。しっかり考えて実行していくことが次に繋がると感じた帰り道でした。   今日は読書報告です。 山本譲司さんの【刑務所しか居場所がない人たち-学校では教えてくれない、障害と犯罪の話】を読みました。 山本さんは衆議院議員だった頃に秘書給与流用事件を起こして逮捕され、そのことがきっかけで刑務所の実情を世に発信されています。【累犯障害者】は有名な著書です。   刑務所にいる人はどんな人たちなのか。私の正直なイメージは、「重大な犯罪に手を染めた人」というのが1番に思い浮かんだことですが、実際はそうではないことが山本さんの言葉で紹介されています。 《刑務所で出会ったのは認知症のお年寄りや重い病気の人、障害の人だった。(中略)刑務所の周辺にそびえるあの塀を、僕は誤解していた。あの塀が守っているのは僕たちの安全じゃない。本来は助けが必要なのに、冷たい社会の中で生きづらさをかかえた人、そんな人たちを受け入れて、守ってやっていたんだ。》   社会の最後の砦が福祉ではなく、刑務所が担っているという事実。誰も望んでそこには行こうと思わない場所にしか安心を求められない人が世の中にいる。愕然とさせられる内容でした。時々ニュースでも出所してすぐに犯罪に手を染めた人の話題を見聞きすることがありますが、罪を犯した結果だけでなく、どうしてそうなったのか、なぜそうせねばならなかったのか、ここを考え、思いを馳せ、具体的な困り感を解決しないことには同じことが繰り返されるだけで、いつまで経っても本当に支えないといけない人と社会が繋がらないんだと考えさせられました。   また、軽微な犯罪を繰り返し刑務所に入ってくる人の中には手帳取得や診断には至っていないものの知的障害のある方も多く含まれており、日本が発表している知的障害者の人数よりも実際はもっと多くの人が生きる難しさを抱えているとの記載もありました。(日本は障害者手帳の発行数=障害者の人数とカウントしている) この点は【ケーキの切れない非行少年たち】にも知的障害の定義が歴史の中で、支援現場の実態に合わないという理由で変更になり、境界知能の子どもたちに手が差し伸べられにくくなったことが書かれてありますが、国のお財布事情、福祉側の都合で支えねばならいない人を制限することは、本当の支援と呼べるのでしょうか。 サービスを実施するのにお金、人、資源が必要なことは当然なのですが、本当は刑務所に行く必要がない人が社会の中で頑張って働き、納税者になり、消費者になるとそれは国や地域の力になります。未来の私たちの生活を豊かにしていくためにも、“社会の仲間”は一人でも多い方が良い。未来の仲間を増やすためにもクロスジョブが培ってきた就労支援のノウハウをもっと広く活用できないか考えていきたいです。   山本さんは《手帳を持っているか持っていないかではなく、「いま現在、何かに困っているかどうか」で福祉サービスを提供してほしい》とも訴えられていて、この点も大きく賛同する部分です。NPOとして社会的責任を果たすためには現場から声を上げ、新しい仕組みを作ることも必要です。既存の制度で救えない、手が届かない人がいるのであれば、私たちが地域を動かすしかありません。新しいことに挑戦することは勇気のいることですが、クロスジョブは常にチャレンジを繰り返さなければ存在意義はない。それぐらいの覚悟と自覚をもって仕事をしなければいけないと感じています。     【文献】 山本譲司;刑務所しか居場所がない人たち-学校では教えてくれない、障害と犯罪の話(大槻書店,2018)     砂川