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こんにちは、砂川です。 連休が終わりました。緊急事態宣言の延長もあり、自粛モードの長期休暇となりましたが皆さんいかがお過ごしだったでしょうか。   私はほとんど自宅を出ずに過ごしていたので、1日の歩行数が極端に少なくなり体力、筋力がどんどん落ちていると感じます。簡単なトレーニングは継続していますが、日常生活で“歩く”ことがどれほど大切なことか考えさせられる毎日です。緊急事態宣言以前は1時間以上かかる通勤を億劫に感じていましたが、通勤も健康維持には必要なアクティビティなんだなと。非常事態の中で当たり前だったことを見つめなおし、“それがなぜ大切なのか”自分の言葉で説明する力を養えていると考えるとポジティブでしょうか。     “コロナ以前”に本屋さんに立ち寄った時、レジ前に【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】が面陳されていました。別の本を買うつもりでレジ列に並んでいましたが、会計まで時間がかかりそうだったのと、以前から書籍のタイトルは知っていたこともあり、ついで買い。連休中は他の本も並行しながら読み進めていました。前情報なく読み始めたのでもっとライトな書物かと思ったら大違い。 アイルランド人と日本人の両親をもつ少年が、様々な国籍、アイデンティティ、ジェンダー、貧富の差などの課題に直面しながら成長していくノンフィクションで、サブタイトルにもあるように“The Real British Secondary School Days”を追体験できる1冊でした。     その中で母子が多様性について話し合うシーンがあり、母親(著者)から以下の発言があります。 《多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ》 《多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う》     日本でも多様性、ダイバーシティの言葉が使われ、聞き馴染みのある単語になってきました。しかし、島国で、多くは同じ民族同士が生活してきた社会の中で、この多様性の言葉がどこまで本物になっているかは疑問が残るところです。多様性の言葉を使うことで、本質が見えにくくなっていないか、と心の中に気持ち悪さを感じることもあります。 本の中で上記の言葉と出会って感じたのは、ただ単に多様な人、モノ、コトが同じ場所にあってもそれは多様性ではないということ。色んなものが集まり、それぞれの視点で話合い、認めていく。その過程と過程を経て生み出されていくものが多様性であって、多くの人の共同作業で育てていくものなのではないかと考えました。 自分と近い価値観の人と接している方が安心するかもしれません。衝突も少ないかもしれない。しかし、それだけでは自分たちの世界は広がらず、知らないことが多いまま人生を終えるのはもったいない気もします。 母ちゃんの《無知を減らすからいいことなんだと思う》の言葉は、分かったようで分かりにくい多様性を考えることのハードルを低くしてくれたようで、気持ちの中にストンと落ちてきてくれました。     また、シンパシー(sympathy)とエンパシー(empathy)の違いについての記載も非常に興味深かったです。 シンパシーとは、《誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと/同じような意見や関心をもっている人々の間の友情や理解》等。エンパシーは、《他人の感情や経験などを理解する能力》と書かれてあります。   《つまり、シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力しなくとも自然に出てくる。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているんだろうと想像する力のことだ。》   多様性を育てていくためには同情だけでは足りなくて、“何を考えているんだろう”の力が重要。私たちが行っている面談がただのおしゃべりではないのも、このエンパシーがあってこそだと思います。 ぜひ読んで頂きたい1冊です。   【文献】 ブレイディみかこ;ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(新潮社,2019)       砂川