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こんにちは、堺の徳谷です。 読書感想からは少しズレてしまうかもしれませんが… 『ケーキの切れない非行少年たち』『どうしても頑張れない人たち』の2冊を通して思ったのが、このブログタイトルなのです。   本に登場する少年たちは実際にケーキを切ってみたわけではなく、正確には○を3等分する線を引けなかったわけで。 それって、「実物のケーキが切れない」わけではない、あるいは「ケーキが切れないだけじゃない」という現象なのだと…。   『等分ってなんだ?』から、『今、この人なんて言ったんだ?』という当事者の知識・経験や脳の特性上キャッチしやすい情報の種類の違いによる理解度の差。言語的思考が苦手な方の頭の中は『……?』かもしれません。   その人の特性を想像するためには基礎的な知識が大切な反面、その人の気持ちや経験などの背景を想像する際には知識がステレオタイプな思考への落とし穴になるとも、日々の支援の中で感じています。   本は大事だし言語化も大切なんですけど、そういう別の形に置き換えられた瞬間に、ご本人の実像との距離感が出来てしまうもどかしさも、常々感じます。著者がこの2冊の中で行きつ戻りつして述べていることからも、僕はそういったもどかしさを強く感じました。あるいは、ただの自己投影かもしれませんが…   この、「あるいは…」の気持ちを常に片隅に置いておくことが、とても大事なのだとも思います。   『ケーキの…』のタイトルを見るたび、小学校の給食の時間に先生だけ量が多くて「なんでなん?」と尋ねたら「大人やから体が大きい分、ようさん食べなあかんねん。公平やろ」と言われて納得したことを思い出します。 『どうしても…』を見るたび、絶対に残してはいけない給食というシステムの中で、大嫌いな納豆と向き合った時間を思い出します。納豆なんか好きなやつにあげたらええねん、と言ったら怒られた記憶と一緒に。そうしたらもう、こっそり捨てるしかなくなるわけです。   色んな考えかた、色んな納得の仕方があるんですよね。 そもそも『完全な円』自体が地球上に存在しないそうなので、3等分も突き詰めれば不可能といえるのかも。納得いくようないかないような…。