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こんにちは。堺の徳谷です。
ゴールデンウィークのことを書こうと思いながら時間がたってしまいました。
阪急電鉄の水無瀬駅にある長谷川書店に行ってきました。
大山崎美術館に行こうと大山崎の駅に降り立った瞬間に「前に来たことあるな!」と思い出し…前々から行ってみたかった長谷川書店へ。入口のすぐ横に福祉・精神・発達関係の棚がある、いわゆる『町の本屋』なんて初めて見ました。そしてその棚は別に福祉然として浮き上がることもなく社会系・人文系の本にシームレスに移行している感じ…また行きたいけど遠いんですよね。
そこで買った本ではありませんが…
『自閉症だったわたしへ』 ドナ・ウィリアムズ 著
自閉症当事者の著者が自身の幼少期〜成人期について「自分のために4週間で書き上げ」て、精神科医に持参したそうです。出版を勧められた際の心境を、こんなふうに書かれています。
できることなら、わたしは本を、燃やしてしまいたかった。あれは、ただ自分のためだけに書いたものなのだ。時々読み返して、自分の人生が一貫したものであることと、自分の人生は自分のものであることを、確かめるためだけに書いたものなのだ。
この本は自閉症全般について述べるために書かれたものではなく、あくまでドナ・ウィリアムズさんが 自分の ことを想起して書き起こしたものです。彼女が他人とコミュニケーションをするとき、そこには必ず自覚的な「他人の完全な模倣」がありました。彼女は彼女自身として生きながら、人生の表舞台を「他人同士のコミュニケーション」に任せることに一生懸命だったのです。
彼女は自然について、感触について、事物について、心惹かれた人たちの振る舞いについて活き活きと描写します。読み進めながら、終盤で「自閉症」という言葉に行きつき、「わたし」を客観的にではなく主観的に語り始めます。エピローグには彼女自身の「こんなふうに接してほしい」「そうすれば落ち着いてインタビューに答えられる」という項目が羅列されています。彼女自身が演技することなく落ち着いて向き合えるような環境調整を周囲に求めているのです。
そこに至るまでに400ページ以上の記述が必要であったこと、彼女自身を語るためにはそれでも全然足りないこと、利用者様に限らず僕たちが普段接している「人間」には、それぞれにそれ以上の物語があることを教えてくれるような本だったと、僕は思います。
読んだ後、会ったことのないドナさんのことを、僕は好きだなと思いました。ドナさんに限らず、他人に興味をもって想像することを教えられたように思います。反面、自分が書いたものを他人に読まれて知らないところで勝手に好きになられるのって、考えようによっては恐怖ですよね。う~ん。