https://crossjob.or.jp/map/ https://crossjob.or.jp/link

 こんにちは。堺事業所の吉峰です。  最近、高精度計算サイトというサイトの存在を知りました。お金や趣味、暦の計算式が書かれています。その中でも特に、集合写真で全員が瞬きをしていない写真を撮るには何枚撮影すればよいか、確率を使って計算してくれる機能が面白いです。(https://keisan.casio.jp/exec/system/1256027337)  例えば、4人で集合写真を撮る時に誰も瞬きをしていない写真を99%の確率で撮るには、3枚撮る必要があるそうです。あくまで確率ですので、3枚撮っても誰かが瞬きをしている可能性もありますが、参考にするには良さそうです。  壮行会の集合写真を撮るときに使えそうですね。    さて、今回は、『自閉症だった私へ』の読書報告をさせていただきます。本書は自閉症の当事者であるドナ・ウィリアムズさんの幼少期から成人期を綴った自伝です。  原題は”NOBODY NOWHERE”で、自分は誰でもない、どこにいるわけでもないと著者が感じていることを表現しているそうです。本書の執筆後は自閉症の子どもの力になるために教育学を勉強しておられるそうです。    話は著者の幼少期のことから始まり、家庭での虐待、学校での出来事、就職、パートナーとの出会いなどが数々の鮮烈な文章で描かれています。文中では著者とそれ以外の人物の対比として、「わたしだけの世界」と「外側の世界」、「異常」と「正常」、などの言葉が使われています。  著者は「外側の世界」の人と戦うために、別のキャラクターを自分の中に作り上げ、演じるようになりました。最初にキャラクターを生み出したのは3歳の時だったそうです。母親の性格や行動を無意識に真似て、周囲に怒りや憎しみを向けるような行動を取っていました。次にキャラクターを生み出したのは5歳で、協調性を持ち、明るくコミュニケーションをとるキャラクターでした。    相手や場面によって自分を使い分けるというのは多くの人が行うことですが、著者の場合はそれが極端に自身のパーソナリティから離れていたこと、本当の自分でいられる場面があまりに少なかったことが、人間関係を辛いものにしているのだと思いました。  しかし、著者が求めていたのは自分の世界に閉じこもることではなく、自分だけの世界を必要としなければならないような、周囲との軋轢や葛藤を乗り越えることだと書かれていました。    本当の自分で人と接するのが難しくなる要因は、他人の前で演じている自分とは別の自分を出すことに対する恥ずかしさ、本当の自分を出した途端に何かが瓦解するような恐怖感でしょうか。自閉症の特性や虐待によって生じる苦悩は人それぞれですが、本人から打ち明けるのが難しいような心の奥底にあるものは皆持っていて、私達が支援をするときにそこに対する想像を忘れると、本人の気持ちを置き去りにした支援になると思いました。    著者は信頼できるパートナーを探したり、記者に取材方法の配慮を求めたりして、本当の自分として人と関わろうとする努力を続けていました。恐らく、著者の行動を見ているだけでは、著者が何のために行動しているのか、その背景の深い部分までは決して分からないでしょう。  事前情報や会話、行動観察だけでなく、クライアントの内面に対する想像も含めて相手を理解しようとすることが大切だと改めて感じました。