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こんにちは。 阿倍野事業所の田中です!   私の令和初のブログになります! 令和にはまだ慣れていません。   2月のグループ研修の際、小島先生の講演で「対話」がキーワードになっていましたが、 今回の読書で「対話」について再度考えることができました!   今回、読んだ本は、平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』です。学ぶところはたくさんありましたが、要点2点にまとめました。   ①「対話」 平田氏の「会話」、「対話」の定義 「会話」=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり 「対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺あわせなど。    平田氏は日本社会には、この「対話」という概念が希薄であり、日本社会独特のコミュニケーション文化を、「わかりあう文化」「察しあう文化」と呼んできたと説明しています。一方でヨーロッパは異なる宗教や価値観が陸続きに隣り合わせのため、自分が何を愛し、何を憎み、どんな能力を持って社会に貢献できるかを他者に言葉で説明できなければ無能の烙印を押されるという「説明しあう文化」を形成してきたということです。 両方の文化のどちらが正しいとか、優れているかということではないけれど、日本社会の「察しあう」「口には出さない」という文化は世界において少数派であり、これから国際社会を生きていくためには、自分たちが少数派であることを認識し、誇りを失わないままで、少しずつ他者に対して言葉で説明できる能力を身につけていく必要があると提示しておられます。   ②「協調性から社交性へ」 平田氏は、これまで日本人には空気を読む能力、「心をひとつに」、「一致団結」といった「価値観を一つにする方向のコミュニケーション能力」が求められてきたが、新しい時代には「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められるようになっており、このことを「協調性から社交性へ」と呼んでいます。この点がいま日本人が直面しているコミュニケーション観の大きな転換点だということです。心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションを考えるのか、それとも「わかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか、ということです。    以上の①、②を踏まえれば、わかりあう、察しあう古き良き日本社会が中途半端に崩れていき、宙吊りにされた気持ちで「自分が自分でない感覚」と向き合わなければならないけれど、まずは わかりあえないというところから歩き出そう。 と、コミュニケーションを考える上での出発点を提示してくださっていました。    この本を読んで、まずはコミュニケーションは「わかりあう」ためのものではなく、わかりあえないけれど、どう価値観を擦り合わせていくか、折り合いをつけていくか、という意識をもってのぞむものだと思いました。「わかりあえない」という言葉は冷たく感じることもありますが、しかし、「わかりあえない」を前提にすることで、価値観の違った「わかりあえない」人同士でも同じ空間・場所で過ごすことを可能にしていくのだと思います。  障害者の法定雇用率がすこしずつ引き上げられていき、以前よりも障害者雇用に関心が高まってきています。また、人手不足や定年延長を背景に働く高齢者が増え、外国人労働者の受け入れも拡大されています。働く人びとの国籍、性別(セクシャルマイノリティの方も含む)、年齢、価値観、ライフスタイルが多様になり、「わかりあえない」ことが増えていくと思います。これまでよりも平田氏のいう「対話」「社交性」が求められるようになると思いました。 「わかりあえない」から始まるコミュニケーション、「対話」を意識して支援に取り組んでいきたいと思います!! ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。