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 まず話すのは主に「失敗例」となる。  せっかくの就職者日記なんだから如何に成功したかを書けばいいのでは?と思われるかもしれないが、人それぞれの最適例をトライ&エラーで模索する上で、先に失敗例を知るほうが役立つだろうと思う。  むろん、失敗例も万人に役立つわけではなかろうが、回避できる失敗と思えたなら、是非とも活用して欲しい。   【失敗その1・試さない】  トライ&エラーのうち、そもそもトライをしなかった事があった。  もちろん世の中には「そんなこと試してどうする」という事もあるが、自分がやらなかったのは緊急事態宣言下(2020年4~5月)での求職活動だった。  実習の振り返りも終わり、いざ始めようかと思ったときに降って湧いた天災。恐らく最も社会が混乱していた時期ゆえ、「とりあえず様子見しよう」という考えに至るのは自然だったといえる。  考えが変わったのは、かつてクロスジョブ阿倍野にいたS氏が就職内定の壮行会。S氏は5月も求人に応募し、結果就職が決まったという。  これには少々堪えた。的確に縁を掴んだS氏の成果は、自らの判断の反証になるものだったからだ。  可能性が少ないという判断は今でも間違ってないと思うが、自分が間違ったのは模索の方法だった。あのときは、環境への適応に力を傾けすぎた。  こんな世相の衝撃があることはそうそうないが、受け身になりすぎる危険性は普段の訓練にも潜んでいると思う。くれぐれも、気をつけて欲しい。   【失敗その2・興味のアピールが足りない】  程度にもよるが、興味のある人間と興味の無い人間であれば、たいていは前者のほうが好感度は高い。自分が失敗したのは、面接官に対する関心度の提示だった。  自分の性格と経験上、就活CMのような面接は絶対にできないし、やってはいけないと思っている。所詮は仕事、労働力を対価に給金を貰う“契約”なのだと思わないと、必ずどこかの段階で潰れる。お世辞にもよろしくない労働環境で無茶振りをされた身としては、具体的な保障のないやりがいへ身を預けすぎるのは断固拒否すべきだと思っている。  今でもその考えは変わらないし変えるつもりはないが、履歴書から面接に至るまで、その警戒心を出し過ぎていた。世間に認められる病状ではないが、自分にとっては障害による二次疾患のようなものだと思っている。そりゃそんな警戒心バリバリの人間を雇おうとは思わないだろう。  気付けたのはごく最近、4月から勤務する場所での面接の際に「どういう仕事だと思っているか?」の問いに、それまでよりも多く・少し詳細に答えて手ごたえのようなものがあったこと、 そしてその前に受けた「応募者と障害者にまるで興味のない面接」との比較検討ができたから。  こちらから質問をしても、まるで要領を得ない答えが返ってくるばかりで、手ごたえがない。そこで「ああ、この面接官は自分に興味がない」と悟った。  どういう障害なのかわからないのか、あるいは最初から理解する気がないのか。過程はともかく、結果としてどういう人間なのかわからないのは同じだ。それがどちらか一方にでも発生してしまえば、面接は通らないし入社したいとは思えない。  だから、自分の考えを(やりすぎない程度で)提示できる質問があったのなら、ありきたりな答えを返すことだけは、やめたほうがいいとアドバイスしよう。  テンプレ回答が過ぎると、面接官もきっと人間を相手にしてるのか書類を相手にしてるのかわからなくなるはずだ。      ここまで話したのは割と参考にしやすい失敗例のいくつか。  これから話すのは、上手くいったルーティーンや試み。自分でもかなり独特で奇抜だと思うが、言い換えれば「ものは試し」ということでもある。  可能なかぎり参考にして欲しい。   【成功その1・神頼み】  いきなり「何言ってんだお前」と思われるかもしれないが、本気で話している。いやホントに。  海外のテニスプレイヤーが、ピンチや失敗したときには「これは神の試練である」‥‥という信仰心を発揮することにより、精神の平衡を保つらしい。知ったのは何年か前になるが、思い出したのは一回目の緊急事態宣言が出る前の去年の3月末だった。 「コロナの混乱はどうにもならない、いっそ神に頼るか?」と思ったとき「どうにもならないことだから、神の領域に頼るべきだ」という考えに至った。  いっそのこと「神様お願いします」という形で区切りをつけることは、人間にとってもよいことだと思う。  自分がお参りしたのは病魔退散を願ってではないが、プライベートで悩みがあり、就職の縁結びも願って高名な縁切り神社へ参拝した。  一回目はかなり余裕がなかったが、三回目の参拝ともなると、他の参拝客が祈願絵馬を読む余裕も出てくる。離婚、パワハラ退職、隣人トラブルなどなど、様々なままならぬ悩みを正直にブチ撒けている。同病相憐れむというわけではないが、グループセラピーのように「こんな悩みを抱えてる人もいる」「この人も祈願にやってきた」ということの確認は存外精神の安寧を保つのに役立つ。  どうにもならない事で悩むのは、健康に悪い。どうにもならないのだから、堂々巡りになって自分を苛み、結果精神の悪影響で体も病む。  参拝に限る必要はないため、各々のやり方で心の小休止を模索してみてほしい。  ちなみに。  信じるか信じるかは貴方次第だが、面接通過を祈願した4日に内定が決定した。  京都の安井金毘羅宮、興味があれば行ってみて欲しい。   【成功その2・カフェイン断ち】  別に日ごろからエナドリ的なものを常飲しているわけではない。通院しなければならないほど、中毒や禁断症状があるわけでもない。  ただ酒をやらない代わりに、日本茶・紅茶・コーヒーを好んで飲みまくる程度にはカフェインを摂取していた。それがマズイことなのではないかと疑問に思ったのは、SNSで目撃したエナドリの危険性だ。 「エナドリでブラック労働をするのは“健康の前借り”にすぎない、身体を壊す」 「エナドリのブーストで働くと、カフェインが入ってる状態が通常になって、なくなると酷く疲れた状態になる。摂取し過ぎても怠くなる」  まるでアブない薬でもやってるのかと思いたくなる症状告白だが、「摂取し過ぎても怠くなる」という体験談は身に覚えがあった。  水代わりに午後の紅茶をガブ飲みしていた休日、マックの濃いコーヒーや紅茶を飲んだ日、回転寿司の粉末茶を遠慮なく濃い目で飲んだ後など、決まって身体が怠くなっていた。  確信こそもてなかったものの、とりあえず物は試しと、その日から意識的にカフェインを避けるように心がけた。  緑茶系は避けて麦茶へ、紅茶は代替品としてハーブティー、清涼飲料水はなるべく避けて柑橘系のフレーバー原液を水に混ぜて。  虚脱症状がなくとも、最初の一カ月ほどは単純に飲まないと意識し続けることが少々面倒だったが、それを過ぎれば生活習慣として身につくようになっていた。  自分の場合、カフェインを断つことに特段何かが向上したということはないが、少なくとも「カフェインのせいで無駄に消耗していた休日」は無くなった。マイナスをゼロに戻した形になる。  アルコールほど危険かつ即時的で判りやすい影響ではないため、カフェインの影響は見過ごされがちだ。  生活習慣を振り返ってもしカフェインを摂りまくってるようなことがあれば、まずは飲んでいるモノの種類をノンカフェインに切り替えてみてほしい。  かならず、何か変化があるはずだ。      失敗2つ、成功2つ。  今回あげたのはこれら4つだが、あくまでも代表的かつ利用しやすいものになる。  突飛なもの・個人の性格や障害特性に拠るものが大きい事象も、トライ&エラーを繰り返してきた。  何か問題に対し、仮説を立てて実行し、結果を見極め、検証する。  複雑そうに思えることだが、義務教育を受けた人間であれば誰でも無意識的にやっていることだ。このトライ&エラーを洗練していけば、より快適に生きやすくなる。  是非とも実践してみて欲しい